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24件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2021-04-07 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第9号

それで、九八年に伊能忠敬記念館というのができまして、そのときの担当部長が、いや、これはもう、町並みもこうで、いいタイミングなので、一気に今、佐原大祭を国の指定に持っていくのを頑張りますと言ってくれたんだけれども、正式に文化庁の方へ行ったら、千葉県がそこまで言うなら、じゃ、千葉県内でどれだけお祭りがあって、その佐原大祭の位置づけはどういう格付なんだ、千葉県としてどのような見解を持っているんだ、そう

谷田川元

2008-11-14 第170回国会 衆議院 法務委員会 第2号

大臣伊能忠敬お話をされましたけれども、私も、少年時代青年時代千葉県に住んでおりましたもので、大変懐かしく、興味深くお話を伺わせていただきました。  法務行政日本という国のあり方にかかわる大変重要な行政でありますから、大臣が言われたように、子や孫の時代日本というものを見据えながら、今やるべきことを着実にやっていくことが特に重要だというふうに考えております。  

神崎武法

2008-11-14 第170回国会 衆議院 法務委員会 第2号

しかし、先日、大臣所信を伺っておりましたら、森大臣伊能忠敬さんのお話をされていらっしゃいました。郷土偉人伊能忠敬は云々、四万キロ歩いて日本全図の完成という驚くべき事業をなし遂げました、こういう御発言でございました。私も大変な偉業だと思います。つたない知識ではございますが、それは理解をしております。  

加藤公一

2008-11-13 第170回国会 参議院 国土交通委員会 第2号

これは二十五年前からこつこつと海上保安庁がこれをスタートさせて努力をし続けて、二十五年間ほとんど、間宮林蔵かあるいは伊能忠敬世界になっちゃうのかどうか知りませんが、海底を全部調べて、それで国連に提出をされているというふうに聞いておりますので、こういう努力を続けられている海上保安庁に敬意を表すと同時に、最後海洋政策担当大臣としての海を守る決意を伺いたいと思っております。

長浜博行

2008-11-13 第170回国会 参議院 文教科学委員会 第2号

例えば、中学校の心のノートの中には伊能忠敬ぐらいしか出ていないんですかね、やり直すには遅いものはないという。残りはほとんど出ていないような現状なわけですよ。  だからこそ、心のノート歴史的な偉人とか、そういった大切にしてきた道徳心とかをきっちりと書き込む。それはいかがお感じになっているか。もう時間ですので、是非、最後大臣、お聞かせ願いたいと思います。

義家弘介

2008-11-11 第170回国会 参議院 法務委員会 第1号

私の郷土偉人伊能忠敬は、知命を超えてなお、人間は夢を持ち、前へ歩き続ける限り余生は要らないと四万キロメートルを歩き続け、日本全図の完成という驚くべき事業を成し遂げました。そして今、我々は、より良い国づくりを目指し、司法制度改革を始めとする改革の道を歩き続けています。改革に当たり重要なこと、それは、未来を見通し、さかのぼって今何をなすべきかを決断していくことであります。

森英介

2008-11-11 第170回国会 衆議院 法務委員会 第1号

私の郷土偉人伊能忠敬は、知命を超えてなお「人間は夢を持ち、前へ歩き続ける限り余生はいらない」と四万キロメートルを歩き続け、日本全図の完成という驚くべき事業をなし遂げました。そして今、我々は、よりよい国づくりを目指し、司法制度改革を初めとする改革の道を歩き続けています。改革に当たり重要なこと、それは、未来を見通し、さかのぼって今何をなすべきかを決断していくことであります。

森英介

2008-05-15 第169回国会 参議院 厚生労働委員会 第11号

それから、伊能忠敬これは商人の家に養子に行って、傾きかけた家業を立て直して、それで自分は天文学をやりたい、自分より若い先生江戸へ出て習って、そして幕末に外国人が来て仰天したようにすばらしい日本地図を作ったということですから、例えば老いといっても、むしろ老いが本当の人生ですよという生き方が江戸時代にはあったと、こういうことも一つ参考になろうかと思います。  

舛添要一

2007-05-15 第166回国会 衆議院 国土交通委員会 第18号

藤本政府参考人 ちょっと補足をさせてもらいたいと思いますが、地図とそういう国防とのかかわりみたいな話、伊能図も、先生承知かどうかあれですけれども、シーボルト伊能図を海外に持ち出したというので、結局、その持ち出した張本人、伊能忠敬の恩師の息子さんが獄死をしているとか、何人もつながれたとかいうこともございますし、明治に入っても、地図機密漏えいをしたということで、いろいろな事件が起こったりしております

藤本貴也

2007-05-15 第166回国会 衆議院 国土交通委員会 第18号

土肥委員 シーボルトが持ち出したのは、これはやはり日本機密情報地図情報を持ち出したわけでございまして、それはとがめられるところがあるわけでございますけれども、江戸幕府伊能忠敬に計測をさせて、それは立派な日本地図が初めてでき上がるわけですから大変結構なことですけれども、何か軍事情報関係があるのかなということを懸念しただけでございます。  

土肥隆一

2007-05-15 第166回国会 衆議院 国土交通委員会 第18号

ただ、測量ということをいえば、伊能忠敬大臣もおっしゃいましたけれども、並外れた人物が江戸末期に登場しまして、一八〇〇年、五十歳になって、まず蝦夷地に行く、北海道に行く。そうなると、私は、北方領土は行ったのかなとか、そんな感想も持ったり、すごい人だ、こう思うわけでございます。  

土肥隆一

2007-04-12 第166回国会 参議院 国土交通委員会 第9号

それから、伊能忠敬さんの地図を私、実は海上保安庁にすばらしい地図が残っていたんです。ちょっと、一か月ぐらい前の新聞にもそれ出ていましたですけどね。私はもう早速行って現物見ましたけれども、やはり自分が歩いたところには全部赤い線を入れておりまして、そしてところどころで立ち止まって、北斗七星との関係で天文学的にその位置をやはり測量した地点をそこへ書き込んであるんですね。

冬柴鐵三

2007-04-12 第166回国会 参議院 国土交通委員会 第9号

北澤俊美君 伊能忠敬お話も承りました。確かに大変な才能の持ち主であると同時に意思の強さを感じて、私も今回いろんなものを読んでそう思ったんですが、焼けてなくなるということからいいますと、一番残念だったのは、終戦の二十年に参謀本部測量部が長野県の松本市の隣にある波田町へ疎開をしようとしたんですね。

北澤俊美

2000-02-28 第147回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○近江分科員 伊能忠敬さんという人が、高齢になってから日本国土全部を測量された。長期間かかったわけでございますが、この毛利さん、地球の七割以上の正確なデータを収集された、まさに現代における伊能忠敬さんではないか、このように思うわけでございます。  考えてみれば、毛利さんも、最初搭乗が九二年ですね。そして、九六年にさらに搭乗技術者を目指して挑戦をされた。

近江巳記夫

1998-03-12 第142回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

伊能忠敬この方も引退してから四万キロ以上歩いて、ペリーがびっくりしたような日本地図をつくり上げた。  だから、そういう老後に高い価値を見出す。皆様方政治家をおやめになったら、その後、どういう楽しみを持って生きていかれるか。いや、おれは死ぬまで政治家をやるという方でも結構なんですけれども、仕事で永遠にやってもいい、楽しみでやってもいい。

舛添要一

1970-03-05 第63回国会 衆議院 決算委員会 第6号

伊能忠敬でも出てこないと、いま日本国土ははっきりしないのかもわかりません。登記所に行ってもわからない。建設省もわからぬ。歩いたことがないからわからぬ。どこに一体正確な地図があるのかわからぬ。図書館をさがしてもわからぬ。結局、建設省とか国土何とかとか、だれやかれやといいながら、ほんとうはわかったようなわからぬようなことでございます。

吉田賢一

1968-03-14 第58回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第3号

これは土地でいうならば、日本全体の土地を、伊能忠敬じゃないけれども、すっかり測量しちゃって、それを前提にするのでないと、大きな開発計画は私は立たぬと思う。しかし、そういうことはむずかしいと思うのですけれども、やはり労働政治労働政策という以上は、労働力はどこにあるのか。農村労働力を持っていく。農村定着率の最低はいま三%しかない。全国的には、いま六%なんです。

吉田賢一

1951-11-05 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第10号

古い歴史、或いは同じく社会科地図の中には、例えば伊能忠敬が調べた地図を見ますと、国後は日本北海道に属しております。こういうふうに一体現在千島をどの範囲政府は見、又教育の面でもどういうふうにしておられるのか、この点を明らかにしたいのですが、先ず以て外務当局として千島範囲をどういうふうに見ておられるのかこれを伺いたい。

楠見義男

1950-02-15 第7回国会 参議院 文部委員会 第4号

その中の一つとして我々見て参つたのはあの移能忠敬の古跡でありまするが、幸い国庫補助によつて伊能忠敬の居宅は完全に修築を見たのでありますが、その中に保存されておるいろいろ得難い資料が非常に立込んだ、火災の虞れの多い個人の蔵に蔵されておりまする。これを何とか完全な倉庫にして保存したいということが関係地方民の熱心な要望であつたのであります。

堀越儀郎

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